一般日本人緊張日記

日記、映画の感想など

キャプテンマーベル感想

※ネタバレあり



キャプテンマーベルは、僕はすごく楽しんで観たのですが、そうじゃないという人も結構いるというのも分からないではない作品です。確かに自分もどういう部分が面白かったのかっていうのを端的に説明するのは難しい。「アベンジャーズ結成前の物語」「マーベルの中でも最強クラスのキャラの登場」という煽り文句や、世界中が発狂寸前になっていると言ってもいいアベンジャーズエンドゲームの直前という公開時期もあり、観客の温度とは微妙にマッチしない映画だったのかなと思います(ユニバース化のデメリットですね)。それを抜きにしても、アクションは地味でパッとしないし、「オリジンもの」としても少しだけトリッキーなスタイルをとっているので、「スーパー超人が爽快にバカスカ暴れまわる映画」を期待していた層にはあまりウケない作品だったのかもしれません。しかし、今作が「何か微妙だったなー」という印象のまま、エンドゲームの前振りとして消費されるだけというのは何だか悲しいので、「いや、意外と良いとこあるのよ!この子!」的な文章を書き記してみようと思います。


この映画のヴィランであると思われていたスクラルですが、中盤で実はクリー帝国に故郷を奪われた難民だったということが発覚します。彼らは帝国の侵略が及ばない遠い安息の地に向かうために、クリー人のマー=ベル博士が開発していたライトスピードエンジンの唯一の手掛かりである主人公の記憶を狙っていた訳です。最初は容姿も醜いしなんか攻撃的っぽいし明らかに悪物にしか見えないスクラル達の行動が、実は自分達の平穏のみを求めてのことだったという展開は、観客の「醜い奴らは悪者なんだろう」という心理を利用した上手い仕掛けだったと思います。ただ、まあこの仕掛けもそこまで斬新かと言われるとそうでもないしだろうし、ジュードロウの怪しさも混みで「途中でわかっちゃった」という人も多いだろうなと思います。ただ僕が好きだったのはその仕掛けではなく、彼らのほのぼの感です。序盤のキャロルとのバトルシーンでも襲われそうになるとすぐ手を挙げるちっこいやつとかを見て「なんか可愛いなこいつら」と思ってたんですが、種が明かされてからはよりいっそう好きになりました。タロスさんシェイク飲んでんじゃん、ってことはどっかでテイクアウトしたんだろうな。割と地球満喫してんじゃねえかとか、トランプ楽しんでる!とか、彼らが醸し出す独特のほのぼの感が、「ああ、平和っていいもんだな」と嫌味なく感じさせてくれました。最初はギョッとするような見た目だと思ったのに、途中から「この人たちを助けてあげて…全員幸せになってほしい…」と思ってしまうくらいチャーミングでした。タロスが家族と再会するシーンも感動的だし、種明かしを踏まえると死体安置所でタロスが死んだ同胞に声をかけるシーンも遡って良かったなと思います。キャロルの手を取ってスペースインベイダーの得点を自慢しようとするあの子供もよかったです。現実世界ではクソみたいなニュースがクソみたいなニュースでかき消されていく、みたいな毎日が続いていて、そういう現状を更なるクソエナジーでぶっ飛ばす!!的な映画も好きなんですが、こういう「ああ、平和っていいなー。何でこんな美しいものを壊そうとする輩がはびこってるんだろう...」って思わせてくれるようなシーンが実はヒーロー映画に今一番必要とされてるんじゃないのかな、と言うと言い過ぎかもしれませんが、ぼくはとにかくほっこりしちゃって、他人には優しくしようって思いました(小学生みたいな感想)。


そして、この映画の最大の魅力は、やはりブリー・ラーソン演じるキャロル・ダンバースでしょう。目つきがこわいなーと思うと時折豪快に笑ったり、負けん気が強くめちゃくちゃなことするなと思うと優しかったり、何か外からの要請ではなくただ自分が感じたままを表現する彼女の表情や行動は、月並みな表現ですが「自然体」「という言葉がぴったりはまるのではないかと思います。だからこそ今作のヴィラン、というか「悪」に設定されているのが、「そのままのお前でいることはダメなんだ」ってことを上から言ってくる奴らなのですが、ここの点は考えてみると少し難しくて、人間が向上していくためには「ありのままの自分を捨てていく」という作業もまた大事なのも事実です。今作でジュード・ロウは(役名ではなく俳優名で読んだ方がしっくりくるのでそうします)キャロルに「力をコントロールしろ」「感情を抑えて理性的に行動しろ」とことあるごとに言ってくる訳ですが、感情を抑えて冷静になるってことも時には大事だし、四六時中感情的な人なんかに近づきたくないし、言ってること自体はそんなに無茶苦茶なことではないです。でも、なぜそれが「悪」になるのかと言えば、それが個人の人間性や生き方を完全に無視した、単なる外部からの命令であるからです。それも記憶を失った状態で何故かいきなり目の前に存在する命令ですよね(記憶を失っている、という設定もこの映画が「命令」に対する「なんで?」の物語だとすれば、そのなんで?なんで?が、表面的なミステリーに重なっていく構成もよく出来ていると思いました。だからこそラストの立ち上がる瞬間のカタルシスが強まっていると思います。)
そもそも誰にも文句を言われる筋合いのない「ありのままでいる」ことすら許されない、という最初っから嵌められている枷に対するシンプルな「なんで?」という疑問がキャロルの力の源となっているのです。普通の映画の作りであれば、「感情的だった主人公がそれをコントロールできるようになり成長する」という物語になると思うのですが、今作はそうではなく、自分の知らない間に当たり前のごとく存在している「命令」に「なんで?」を叩きつけ、そこから自分自身を解放する、というところに着地点を持ってきたのが凄く良いなと思いました。だからこそ今作はジュード・ロウに「成長した自分」を証明する必要なんてない。自分を解放し、そしてまたスクラル達を解放することが目的だから。そしてそれを見せつけるラストのアクションがまた良いです。最初見たときは終盤の”Just A Girl”が流れる基地内でのアクションは地味だし見づらいし微妙だなーって思ったし、まあ実際地味だし見づらいんですが、2回見ると良さに気づきました。キャロルの生き生きとした表情。全くもって力をコントロールできていない闘い方。笑 「うわー私つえー!!わっはー!!」みたいな顔を浮かべて、フォトンブラストを打つたびによろめいてあちこちにぶつかりながら闘う彼女を見ていると、ものすごく幸せな気分になりました。

今までのMCUのオリジンでは、自分が今まで犯してきた過ちや失敗を反省し、自分の「欠点」を克服することでヒーローになる、という映画が多かったのですが、そこの映画では、それは欠点ではなく、それこそが自分の力の源なのだ、ということを真正面から描ききったのが良いと思いました。キャプテンアメリカのブレなさとも通じる部分があるのですが、彼ですら一作目では途中調子に乗って反省するという部分があるので笑、彼女の「最初から最後までそのまま」感っていうのはすごく新鮮に映りました。

ちょっとしたセリフや演出がしっかりと物語のテーマとリンクしているのも良かったです。マリアランボーの「今度そう言ったら・・」のくだりも良いし、バイカーのいかにも前時代的な女性への接し方も良かったです。女性のクリー戦士が地球について「まるでクソ溜めよ」と言ったり、スクラルの船では記憶映像が「女性がパイロットなんて・・」的なことを言っているところでぶっ壊したり、コールソンがフューリーを見逃した後の会話「”命令”ではなく”直感”に従ったんだ」「私はそれで失敗ばかり」「だろうな」というのも上手いと思いました。


という訳で、まあエンドゲームの前には地味渋すぎる映画だったのかもしれませんが、ぼくはこの映画でキャロルがMCUの中でも上位に食い込むくらい好きなキャラクターになりましたし、MCUがこの先興行的にダメになっていっても、キャロルが出ていれば絶対観に行くから4,5本は頑張って作って!という気持ちにさせられました。アクアマンもスパイダーバースも最高のヒーロー映画でしたが、キャプテンマーベルも分が悪そうだけど結構良いと思うよ!ということをお伝えしたく色々書き綴ってみました。